ジンバブウェに注がれる視線

ここ数週間の間、危機的な状況に置かれていたジンバブエに解決の兆しが見られはじめています。2008年9月に合意文書が署名された連立政権の樹立の実行を促していた南部アフリカ開発共同体(SADC: South African Development Community)の提案を野党党首が受け入れることに合意したのです。2009年2月13日にモーガン・チャンギライ氏が首相として就任宣誓を行い、ジンバブエでもっとも打撃を受けた金融、社会サービス分野の舵取りを正式にまかされることになりました。著しい惨状を緩和し、政治経済上も社会的にも悲惨な状況に陥った国家の秩序を取り戻すため、ドナー国・機関に対しジンバブエへの資金提供を求めることがチャンギライ氏の新しい役割になります。

2月17日、新内閣が初の顔合わせを行いました。国境なき医師団(MSF Medecins Sans Frontieres)発表の報告書によると、コレラの感染がいっそう広まっており、医療・社会インフラは悪化し続けています。医療サービスを提供できないためほとんどの病院が閉鎖されたままだそうです。最新の指標によると昨年8月のコレラの大流行勃発以来すでに3,623人が亡くなっています。

ジンバブエにおける野党第一党の民主改革運動(MDC)の支持者たちはいまだに政治的な対立のさなかで標的にされ、昨年12月に逮捕された人権運動家や野党の活動家たちはまだ獄中で拘束されています。チャンギライ氏の前途は険しく、まわりを取り巻く環境も非常に厳しいものとなることが予想されます。2月17日、ONEはアフリカ連合(AU)がジンバブエの新連立政権の保証人としての責務を担うことを求める署名活動を開始しました。

危機の背景

独立当初、ジンバブエはもっとも有望視されるアフリカ諸国のひとつとして称えられていました。長きにわたる過酷な英国支配からの移行期間を経て、ロバート・ムガベ氏が1980年の初選挙で大統領に選ばれたのです。「国家の調和と再構築」という政策に則ったムガベ大統領は国の社会や経済の発展にコミットメントを示していました。医療や教育制度に抜本的な投資を行い、強い農業セクターと多角化した経済が高い成長をもたらすだろうと見込まれていました。1990年代に入るとジンバブエは近隣国の中でももっとも高い識字率を誇り、近隣地域の中でも重要な農業地帯として知られるようになりました。

しかし、1990年代末には経済管理の手腕不足と権力に執着するムガベ氏によってそれまでの実績が逆転してしまいました。100万パーセントにも上るインフレ率が原因でジンバブエでの生活は文字通り機能不全となったのです。白人農家の土地を(ときには強制的に)収用し、黒人農家に分配するといった議論を呼ぶ土地改革によって経済のバックボーンである農業セクターも破壊されてしまいました。これによって多くのジンバブエの人々が職を失い食糧不足に直面しました。今日、国連世界食糧計画(WFP: World Food Programme)はジンバブエの人口の半数(500万人以上)が緊急食糧支援を必要としていると推定しています。また、保健にかかわる指標も大きく落ち込み、世界保健機関(WHO: World Health Organisation)はジンバブエの平均寿命 –男性37歳・女性34歳– が世界でもっとも短いと昨年発表しました。

2008年3月29日、ジンバブエの人々は選挙を通じてチェンジを選ぶ機会がありました。ジンバブエ野党第一党の民主改革運動(MDC)のモーガン・チャンギライ氏がムガベ氏にかわる大統領候補として名乗りをあげたのです。政府は何ヶ月も公式な選挙結果の発表を遅らせた末、5月2日に僅差のためどちらが勝利したか確定できないとの立場から6月27日に決選投票を実施すると発表しました。その間もMDCの党員は幾度も嫌がらせを受け、法的根拠なしに留置されたりすることが多々ありました。チャンギライ氏も正当な理由なしに二度投獄されました。その後チャンギライ氏は公正な決選投票は不可能だと考え、大統領候補を降りることにしたのです。28年間も独裁を続けてきたムガベ氏が職権を乱用し、人権を踏みにじって永遠に支配を続けることが目に見えていました。対立候補のない状況でムガベ氏は選挙を実施し、自ら勝利者として6月29日に大統領としての就任宣誓をとり行いました。

決選投票後、アフリカ連合(AU)は何らかの解決策を仲介する必要があるという強い圧力を受けることになりました。ボツワナ、タンザニア、ルワンダ、ケニヤといったアフリカ諸国の首脳がムガベ氏の選挙戦略をはっきりと批判したにもかかわらず、ジンバブエにより厳しい制裁措置を課すのは得策ではないという姿勢をアフリカ連合は保ちました。かわりに、アフリカ連合は新連立政権が交渉を行う場面で調停役となるよう、サーボ・ムベキ前南アフリカ大統領を任命しました。9月には連立政権樹立にかかわる合意が署名され、ムガベ氏が大統領として留任し、チャンギライ氏が首相に就任することが決まりました。ムガベ氏が内閣の長として政策を定めるのに対し、ツァンギライ氏が各省庁の長をとりまとめ、内閣の決定事項や日々の行政職務を監督することになったのです。進展の兆しが見えてきたようでした。

しかし、合意内容を実行する際、省庁を統括する要職の人事交渉でムガベ氏率いる与党ZANU-PF(Zimbabwe African National Union – Patriotic Front)が誠意を示さなかったことが出鼻をくじきました。野党はムガベ氏が権力を保持したいがために主だった内閣の人事に執着していることを糾弾しました。特に威嚇や選挙違反の温床であった治安当局の人事にこだわり続けたことが批判の対象となりました。最近になりやっと連立政権の実際に動き出しました。しかし、まだ連立政権は発足したばかりであり、今後この新連立政権がどのように機能していくのかは未知数です。

今後の道のり:ジンバブエの可能性

ジンバブエには失われた開発や発展を取りもどす可能性があります。メディアは「修正不可能な危機」といった見出しを使いがちですが、他のアフリカ諸国の例を見ても、再生は決して無理なことではありません。ルワンダやモザンビークなどもっとも壊滅的な内戦をくぐりぬけてきた国々も目を見張る復興を見せています。

復興にむけた最初のステップは強いコミットメントを持った真に機能する政府を確立することです。開発が良好に行われるための環境を提供することは政府の非常に重要な役割です。ガバナンスの構造が崩壊すると、国民は基本的な社会サービスさえも受けられず、いかなる社会経済的な改善効果も大幅に限られてきます。基本的なガバナンス構造が効率的な開発の大前提であることの大切さをジンバブエは示しています。

復興への第二のキーポイントは国際社会からの強力なサポートです。20年にもわたる独裁支配は過去にジンバブエが築いてきた対外関係を台無しにしてしまいました。国際社会は正当な政治的解決策を強く求めるだけでなく、ジンバブエの復興の可能性が芽生えたら直ちに支援できるような体制を整えることが非常に大事です。

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